Chapter27 かやぶきの里について5
かやぶきの里について5
「ふるさと村組合」は平成3年に設立して、まず「おやけ」の改造から始まった。水洗トイレにしたり雁木の部分を広くしたりとかリフォームした。
次の年の平成4年に「豊かな村作りの会」で審議した建設部会が「いいもち」棟を作った。
自分は当時議員もやってたんだけど、議会に上ってくるのは建物を作るにあたって古材は認めないことになっていたんだよ。
だから荻ノ島のは新材。
門出のかやぶきは古材を使っている。
でもその耐用年数をどうやってはじきだすか、それが国レベルでも県レベルでも曖昧な時期だったんだよね。
俺達の頃から段々と古材の価値を認めるようになってきたけど、
かやぶきの「いいもち」棟をやってる時はまだ微妙な時期だったんだね。
俺はすごい憤りを感じたんだけど、古材のほうが新材より長持ちするんだよと。
そして議会で可決されると発注されて半年以内に作りなさいということになる。
ところがかやはじゃあどういうふうに集めておくかとか、
普通の建設と違って請け負った業者が前持って段取っておかないといけないことがたくさんある。
正志さんからは「旅館法の決まりではとにかく5つ客室がないといけないから、
そうなると2階が取れる家にしなければならない」と言われてた。
たまたま仙納(十日町市)の保険屋さんが元々かやぶきだったのがトタンにして、
それが今度壊されるという情報を掴んで見に行ったら古くない新しいかやぶきだった。
そのときはトタン屋根になっていたが軒高が16尺以上あるから2階もとることができる。
あれを持っていこうと。
だからその時には業者はどこが請け負うか決まってないけどその業者に売るために先に金を払って準備しておいた。
業者が決まってからだと工期に間に合わないから。
だから正志さんがある程度金を払って内々に決めておいた。
そのかやぶきを請け負う業者に買い取ってもらうというようなことをやって現在の「いいもち」棟ができたんだよ。
でも完成間近になったら問題が出てきた。
この辺りのかやぶきの角度は雪が多く重たいため「かねこうべ」と言って急な傾斜角度で雪が落ちるように作る。
設計した日影さんは関東の人だから帽子をかぶったような押しつぶされたようなかやぶきだった。
これが建前の日になって「これじゃ雪がひっついてすぐかやが抜け落ちる」とか話になって、
建前の日に無理に少し角度変えて、それでも限界があったけど(笑)
設計と実際の中間ぐらいになったんだけど少し角度を上げて今の形になった。
それも2階建てだから最初はしゃっぽをかぶったような形だから、
地元の人には「変わったかやぶきだのう」とか言われながら。
でも2、3年過ぎると全然違和感ないんだけど(笑)
それと設計には囲炉裏がついていなかったんだよ。
そのことに工事やってるとき自分が気づいて、
かやぶきに囲炉裏が無いのは絶対許せないからどうでもかんでも囲炉裏をつけてくれと。
そこでどこへつけるかとなって通常なら奥のほうになるんだけど、
囲炉裏がメインになるからど真ん中にしてくれと。
囲炉裏は組合長やってた八代さんの家が昔使っていた梨の木の「よろぶち」があるからそれを使おうとなった。
だからその大きさに合わせて床を切ったんだよね。
かやぶきの一番上を「ぐし」と言って、かやの重しになってるわけなんだけど。
「ぐし」と言うのは都会の設計士は気づかないけど田舎の大工はみんな知っている。
かやが痩せてくるわけだけど隙間がでないように「ぐし」は自然に降りてくるようにボルトなどで固定はしない。
だから自然に隙間ができないように降りてくる。
それが「ぐし」の役目になっている。
みんなボルト締めで止めたから2、3年経つとそこにできた茅の隙間10センチくらいに茅を押し込んで、また痩せてきたらまた押し込んでということをいまだにやっているんだよ。
冬の風で雪が入り込んでくるものだから。
荻ノ島のかやぶきの場合は門出での失敗や地元のナガイ工務店が設計の段階で教えてたから自然に降りるようにできている。
門出ではアドバイスする人がいなかったから建前の段階でああでもないこうでもないとなったんだよ(笑)
設計の日影さんには申し訳なかったと思う。
高柳が地域起こしの調査を千葉大学に委託したことがあって、宮崎清先生、藤原恵洋さんが学生を連れて来ていたんだよ。
日影さんはそのとき一緒に来ていた鎌倉の方で、作家のいのうえひさしさんの家を設計した人なんだけど、高柳町が日影さんに設計をお願いしたんだ。
自分も和紙をどこへ使うかとか話し合った。
だから俺たちが季節民宿を始めたとき最初のお客さんは千葉大の学生から始まった。
すぐ後、千葉英和高校の生徒がその当時から今も使ってもらっているんだ。
その頃はまだかやぶきのスタッフが決まっていなかったから、
おっかさんたちのグループで「くるみ会」というのがあって、
そこに夕飯と朝食と5日間分を25万で受けてくれとかお願いしてたんだよ。
英和高校ユースホステル部の皆さんは自炊三日間、自転車で町内めぐり、夜は地元の若者と交流会や、年によっては音楽会なども地域の人に披露してくれるんだよ。