Chapter25 かやぶきの里について3
かやぶきの里について3
最初は「ガキ大将の館」で出発したけど修復をさらに続けるためには金を捻出しないと続けられない。だから民宿の許可を取ろうと。
水曜日はみんなが集まって会合場所に使って、それ以外は民宿として活用していくと始めた。
最初はチラシで石鹸から食器から布団からなんにもございません、なんでもあったらくださいとお知らせしたんだよ。
そうしたらいっぱい集まったんだ。
それで昭和62年に営業を始めた。
最初のスタッフは「にし(屋号)」のかあちゃん。
典型的な田舎のおっかさんで心配りが強すぎるから、自分の母などもそうだがいっぱい作って「さあ食わっしゃい」と言う。
「まずいかい」と聞くから「いやまずくない」と言うと「じゃあもういっぱい食わっしゃい」と(笑)
そういう田舎の伝統を完璧に残したおっかさん。
それと「きちん(屋号)」のかよばあさん。
こだわり派のばあさんで、醤油の器でも気に入らないと「この器はどうしてもいや」とか言う(笑)
その2人がコンビで時給500円で出発した。
お客さんに対して気を使う気くばりよりも自分がしてやりたい心配りがすごかったから抜群に合えば最高に楽しくなるし、困ったなあと思えば大変にもなるんだけど。
そういう心配りを重んじたのは自分の方針だった。
ホテルとは違うんだから。
こうしなさいというのは俺は言わなかったんだよ。
茶碗てんこ盛りにしたければすればいいし、それぞれがそれぞれの心を表せばいいと思ってずっとやってたんだよ。
かやぶきのお客さんは一番最初の頃は県内が多かったけど次第に関東圏になってきた。
それもほとんど口コミ。
だからこれといった営業活動もしてこなかった。
かやぶきは1回来た人のリピーター率がすごい高いんだよ。
それで連れてきた人がさらに色んなグループを連れてきて。
だから気に入った人がいつも違うメンバーで色んな人を連れてくる。
その中の誰かがまた誰かを呼ぶみたいに増えていったんだよ。
その後お客さんが増えてきて、中越地震前スタッフが一番多いときで23人いたんだよ。
というのは今はどのスタッフも調理から布団からみんなやるんだけど、あの頃は調理はいやだから布団引きぐらいはやるっていうばあさんとか、掃除ならやるっていうばあさんとかいたから。
1人で味見するのがいやだって言ったり。
俺が知らない女の世界も色々教えてもらった(笑)
俺は兄弟に女もいないし女社会が全然わからなかったから。
以前はかやぶきで体験とかあるときは子供が来ると川遊びをさせたんだよ。
弟子の仙三君に「倉下の橋の下のとこ行って子供が行かれるように草刈ってこい」とか言って。
でも「こんな危ないとこ大丈夫ですか」とか「誰が責任取るんですか」とか言う親がグループの中に1人でもいるとそれが成立しないんだよ。
あの頃はみんな子供はそれが当たり前だと思っていたからよかった。
今は親達がそんな体験許さない。
そんなことで忙しかったから、紙漉くのは夜なべが多かったね。
昼間は半分もできないんだよ。
夜10時頃会合が終わって帰ってくれば夜中1時頃までで半日分くらい仕事が進むんだよ。
だから30代半ば頃まではほとんどそんな感じだった。
その後、和紙のほうのスタッフが増えてきてからよっぽどのことじゃないと夜なべまではしなくなったけどね。
門出かやぶきの里
〒945-1513 新潟県柏崎市高柳町門出5237
TEL 0257-41-3370(門出ふるさと村組合)
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