Chapter13 昔の食について



食について


今は良い時代で毎日同じものを食べるなんてことはないよね。
昔に戻りたいと思うこともたくさんあるけど、戻りたくないなあと思うのは食だね。
というのは、これはうちだけじゃないけど、例えばにいな(煮菜/野沢菜を煮たもの)を作れば3日分くらい鍋で作るんだよ。
無くなるまでそれを食べる。
うちのばあさんなんか、にんにくを煮て混ぜたのとかが出てきたときは、にんにくがずっと3日も4日も出るんだよ。

まず基本的にはまんま(ご飯)と味噌汁と漬物。
お客さんが来たときは「豆腐でも取ってこいや」とか言って豆腐汁とか油揚げが入る。
油揚げが入るとすごいご馳走。
油揚げがないときは味噌汁にひと滴の油を垂らしてくれても、今日の味噌汁はうまいのうというぐらいひもじかったんだよ。
だから俺より上の世代はもっとそうだったろうね。
ご馳走なんていうのは普段のなかではないんだよ。

ただ季節に応じて冬になると餅、餅と言ったって粉餅だよ。
くず米を粉に挽いてこねたものをあんぼ(米粉を皮に使ったおまんじゅうのようなもの)にしたり、あんぼの中に野沢菜を入れたり。
うまかったと思うのは渋柿で、渋柿を入れると焼くと甘くなるから子供のころはそれはいやじゃなかった。
普通は粉にしたのをこねて囲炉裏で焼くだけ。
囲炉裏のところに投げて焼くんだよ置き火で。
そうすると灰をかぶるから囲炉裏のふちでパンパンとはたいて灰をはらい食うんだよ。
おれはその団子が嫌いでいまだにトラウマみたいにいやで、親父もそうだったね。
挽き物は俺は嫌いだとよく言ってた。
つまり玄米のくず米の挽いたものを散々食わされたから。
大じいさんの世代はそういうのばっかり食べてたからそういうのを当たり前として食べるんだよ。
でも食べないと母親にも怒られるし、仕方がないから焼いたときの一皮焦げたのを俺が食って、中はじいさん歯が悪いからじいさんにあげて、コンビで食ってた(笑)
それが冬の食い物。

あるいは夕飯の味噌汁に余ったご飯を入れて、それをうちのほうでは雑炊とは言わずに「じっせ」と言うんだよ。
朝起きると冬場はそれを囲炉裏で食べる。
でもそれだけだと物足りないから餅を入れる。
餅搗きは1回に4臼4升ずつ搗くんだよ。
1臼が白い餅、後の3つは餅を搗く直前にくず米の粉を入れるんだよ。
当時もその粉入れるとまずいから、よもぎの葉を入れてよもぎ餅にする。
白い餅によもぎを入れることはない。
だからそれをニセ餅と言っていた。
うちの親父もニセ餅と言っていたから門出ではそう呼んでいたのかもしれない。
100%の白米にはよもぎは入れなかった。
よもぎは嫌いじゃないんだけど、今でもよもぎを見ると拒否反応するのはその頃のトラウマなんだよ。
本物の餅よりもそのニセ餅のほうがぷくーっと早く焼けるんだよ。
だからニセ餅を3枚食わないと白い餅を食わせてもらえない(笑)
親が二言目に言うのは栄養があるんだからって。
それと餅を箸代わりにしてじっせを食ってたなあ。
それが冬の朝食。

魚類は刺し身なんて建前だとか結婚式とかじゃないと食うことはないけど、祝い事のときは刺し身とムツの煮つけは必ず出たね。
あと人が集まったときは、ぜんまいだとか正月料理はこんにゃくだとか色々出たけど、普段の生活ではそんな言うほど種類なんてなかった。
夕顔でも昔は必ずくじら汁だった。
夕顔なんてくじら汁にするか、かんぴょうにするかしか昔は食べかたがなかったんだよ。
今は色んな料理方法があるから昔からこんなだったらすごい楽しかっただろうなと思うね。
昔は調味料が少なかったから料理方法は限られていたんだね。

うどだって頭をてんぷらにして食べるなんてこの20年くらい前からだよ。
昔は油だって計り売りで貴重品。
昔はうどは手で割いて胡麻和えぐらいだった。
包丁で割くとうまくないんだよ。
手で割くと味が染み込んでいくから、あとは酢のものにするか、酒飲みなら生で味噌つけて食うぐらいのものだった。
山菜で昔食べて今は食べなくなったのはカタクリ。
こっちではカタコとも言うんだけど。
カタクリは採ってきて湯がいて醤油かけてよく食べたけど、食べ過ぎると下痢するんだよ。
こごみは子供の頃は食べなかったし、たらの芽も食べないし、こしあぶらなんてなおさら食べない。
山菜だと最初はふき、それからうど、カタクリだね。

それから、すっかんぼ(イタドリ)だとか、すっかす(イガホオズキ)、すっかすというのはすっぱすめとも言うんだけど、子供の頃は食べたな。
それからチガヤと言って、小さいカヤみたいなものが綿状になっている、すすきみたいに白い花がまだ未熟の状態で葉っぱの中に収まってる頃は、チューインガムと称してそれをしゃぶってたね。
ほんのり甘いんだよ。
あとは、いつぎだんご(ヤマボウシ)の実だとか、栗だとか桑の実、木いちご、くまいちご、あけびも食べたね。
今の子供は食わないけど、食うものがなかったから食ったのかもしれないね。
まあ食生活はうちだけじゃなくてみんな貧しかったよね。
江戸時代と変わらないんだから。
作物もうちのばあさんに聞くとまくわうりは昔から作っていたらしい。
きゅうり、まくわうり、大根、かぼちゃ、夕顔、なすも昔から作っていた。
今みたいな水なすじゃなくて巾着なすだったけど。
今は苗も買ってくるから7月頃食べてるけど、すいかもお盆の8月13日に仏壇をきれいに飾るときに間に合えばいいねという感じだったんだよ。
まだ熟してないけど仕方ないかという感じで、8月13日が目標なんだよ。
その頃お供えするまでに食べられればいいという。
昔は種から蒔いていたから今より1ヶ月以上は遅いよね。

今一番食いたいって思うのは、残りご飯に味噌汁かけてあさつきで食うやつだね。
俺達の頃は山の仕事をしてると中飯(ちゅうはん)というのを必ず食べてた。
11時頃上がってきて暑い昼は避けるために14時頃まで昼寝するんだよ。
その分朝は早くから出ていく。
昼寝して19時ころまで仕事をするから腹減るんだよ。
だから中飯というのを必ず食べていた。
16時頃中飯を食うんだけど、いつもそれが残った味噌汁と飯をあさつきで食うんだよ。
俺も学校から帰ってくるとまずそれを食べてたね。
究極それが今も一番うまいと思っている。
特に色んなところでご馳走なんか頂くと、なんもいらないからそれを食いたくなるね。
くじら汁を何回も温めたようなのをご飯にかけてあさつきで食ったらもう最高だね。
だから7月の半ば頃になると夏バテにも効くから夕顔が取れたらもうギトギトした油が浮かぶ、くじら汁が頭の中に出て来るんだよ(笑)

あとは、なす辛味。
くじら汁と同じくらいの頃、7月の夏バテになってくる頃によく食べる。
ナスを味噌と唐辛子入れて油で炒めるんだよ。
それに青じそ入れる。
それは食欲が無いときでもいくらでも食えるんだよ。
なす辛味は昔も好きだったし今も好きだから、なすが無くなるとせつないんだよ。

それと我が家だけの食い方として、きゅうりの冷やし汁。
上品なのは味噌汁をいったん煮て出しを取ったりしたものにきゅうりをかける。
でもうちのはお粗末で、山仕事に一緒に行って帰ってきてわずか10分くらいで、いただきますの体勢に入るからそんな手間かけられない。
ただ水の中に味噌入れてかき回して青じそかみょうがを刻んで豆腐ときゅうりの割いたやつを一緒に混ぜて食べる。
氷を入れると最高だね。
それが実に相性が良くて、何杯でも食えちゃう。
それをうちの親父が大好きでおれもそれ食ってきたから大好きなんだよ。
それは門出の他の家もやってなかったから我が家独自の食べ方だね。

(上部写真/小林康生さん旧家囲炉裏端)

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