Chapter07 大地の学校構想について



大地の学校構想について


--- ふたつから始まる

物の根源がふたつから始まるということに自分が気付いたのは、30歳代の後半の頃。

ある会話をしているときに「こういうふうに思います」と言う人と、「こういうふうに考えます」という人がいる中で、我々は普段「思う」ことと「考える」ことを一緒にしているなぁと気付いたんだよ。
「考えます」という客観的用語を、自分だけが「思います」と言ってしまったり、その逆をしたりする。
でも「考える」ということと「思う」ことはいつも一緒にならないことのほうが多くて、「考える」ことと「思う」ことが必ずしも一緒にはなってはいない。
むしろ逆に反発しあうことのほうが多い。

算数の授業でも1、2、3、4…という客観で学校ではみんながわかるように教わるんだよね。
そういう客観で教わる癖がずっとついてきたから、物の始まりは1から始まる。
従って根源はひとつなんだと漠然と生きてきたんだけど、でも実際は本質がふたつから始まってるんじゃないかと考えるようになった。
極端に言えばイエスかノーか。
このイエスとノーが今までは別々の物と考えてきたけど、それが実は一体の物であってその物を裏から見るか表から見るか、見方や見るポジションの違いであって、元々ふたつが一緒になってひとつになっているんだとわかった。

それはその人だけの「主観」と誰もが共有できる「客観」のことでもある。

「考え方は違うけどそういう考え方はわかるよ」というふうにお互いがわかるのが客観で、世の中を進めていくためや大勢をまとめていくためにはそれが不可欠なんだよ。
客観というので数値化したりして1グラムとか1時間とか決めることで効率良くやっていける。
また国語辞典なんかも客観で説明をしている。
社会のリズムは万事、客観で世の中が動いている。

--- 「文明」と「文化」


それが文明という言葉と文化という言葉も非常に似ていて、なにが文明でなにが文化なのかということと自分の中で重なっていた。

文明というのは、常に便利にしたり進歩したりすることが根源だから、変化することが避けられない思想というか、今日と明日が同じであってはいけないというか、向上していかないといけない。
絶えず突き進んでいかないといけない。
とりわけ便利というのがその中心にある。

文化を考えてみると、例えばこの地域には「じょんのび」という言葉があるけれども「じょんのび」という言葉は「芯から気持ちが良い」という意味だよね。

雪で痛めつけられて気候が非常に厳しいから、それにちょっと救われたときに「あぁじょんのびだのお」という言葉が必然性を持っている。
絶えず天気の良い地域ではそういう言葉を必要としない。
いわゆるその地域独特の共通する心の模様というようなものが方言としても必要になってくる。
そういったものが文化。

文化というものは変化を目的としていない。

変化は避けることは出来ないけれど向上していく必要もない。
大昔から泣くことと笑うことは基本的に今も昔も変わらない。
つまりは「心」を文化と直訳、あるいは主観と直訳してもいいのではないかと自分は思うようになった。
それとは異なる概念で、客観的にひたすら変化を遂げながら切り開いていく、それを文明だというふうに考えると非常に整合性が取れると思うようになった。

ふたつでひとつということは、別々のものがひとつになる、あるいはひとつのものが別々になる。

それは答えがひとつでないということを意味する。
それを思ったときに生きることが少し楽になったというか。
「こうでなければいけない」ということは存在し得ないということを意味しているから。
それで答えはふたつになると気付いたんだよ。

例えば新潟県なら「雪が溶けたら水になる」という人よりは「雪が溶けたら春になる」と答える人が多い。

国語辞典の客観からすると「雪が溶けたら水になる」としなければいけないけど、新潟県においては「雪が溶けたら春になる」も正解の中のひとつになってくる。
その地域においては正解だけど他の地域においては不正解といような、そういったことがいっぱいあるんだよ。

--- 「育てる」と「作る」


学校で教わることのできる限界というのは客観を中心とした教育だからね。

親が子供たちにやってくれるのは教育ではなく育てるということ。
自分は「育てる」と「作る」という言葉を分離して考えている。
作るというのは、自己中心的にこうやりたいということにひたすら向かってやっていく。
作家ならば自分の個性を表す、職人なら作ったものの中に自分の姿勢を存在させる、というのが作る本質的なものになる。
これはどちらかと言うと文明寄りになる。

ならば文化とはいったい何なのかということを考えると、それは作るというよりは育てるということ。

育てる相手と調和をさせるというか、自分ということを100%強調させると成り立たない。
それは相手が自然の場合だと一番分かりやすい。
気候を自分では左右させることも出来ない。
つまりは自分が自然の一部として相手と会話をしながら、どこかで折り合いを付けながら、相手を抹殺するのではなく完全に自分の側に引きつけるのでもなく、育てられる側にも心を配ることが育てるという行為には必要になってくる。
子育てから作物から紙もそうだけど。

自分も若い頃は、育てるというよりは作るほうに重きを置いて、自分をいかに形にするかで生きてきたような気がする。

現代の社会も極端にそれが進みすぎているように感じる。
だからその自然の子供であればいいのだけど、自然の親を目指し始めている。
人類の言うことを自然に聞かせてやろうという挑戦を始めているような気がする。
それが必ずしも良いことではないというのは誰しもが気付くはずなんだよ。
でも注意しないとみんなが手段の中で踊らされて、真の目的である本当の豊かさというものがその中に埋没していってしまう気がするんだよね。

--- 心を育てる


最近60歳になってから思うのは「主観を育てる」つまり「心を育てる」というのは記憶の力だということに気付くんだよ。

様々な自分の記憶、経験だよね。
体の中に入ってきた、気付かされたこと。
人から教えてもらったことは頭から入ってくるけれど、なるほどと結果として自分が気付くことは体から入ってくる。
それを一番気付くのは失敗した時。
これはもう頭ではなく、心というか体がそれを受け止めるというか。
この部分は学校教育では難しい。
それは昔なら山で遊んだり、その中で怪我をしたり色んな不自由さや難儀さ、暑いや寒いなどということを身を持って感じながら体の中へ入っていく。
そのひとつひとつの場面が記憶のポケットの数も増やすし、重くもする。
これがその人の主観を形成するというか、心を形成する要因だろうと思う。
今はそういう経験を段々としにくくなっている時代なんだろうね。

そういう五感を一番正常に育むのはやはり自然だろう。

自然の中で昔の人がやってきた暮らし、日本ではコメ文化が一番大きいわけだけど、その他にも風呂に入るために薪を炊くなど、何千年となく続けてきた最も基本的なことと、このほんの百年足らずの間に縁を切ったわけだ。
つまり人間の本質的な豊かさを感じるのにはとても不適当な時代になった。

自然と寄り添う暮らしの中に安定した心の豊かさがある。

それは暑い、寒い、難儀も受け入れるたくましさが必要になる。
したがってそれを経験するということが「大地の学校」の目的。
つまり自然の中で、自分も自然と一体であるということに気付くこと。
その手法、方法論として何百年、何千年も前から人間が行ってきた暮らしの方法、風呂に入ることやご飯を食べるなど、そういったことを青少年の頃に経験することが原始力や人間力をつけるのに一番有効であり、間違いのない真理があるんだろうというのが大地の学校の大きな考え方。

--- 集団生活の中で


私の弟子でイスラエルのイズハニューマンが31年前に8ヶ月間、紙漉きに来た。

その後も2、3年に1度はうちを訪れているが、彼が42歳の頃、家族を連れて訪れた際に「やっとキャンプが終わった」と言ったんだよ。
そのキャンプというのは兵役、つまりは軍隊の合宿場、兵舎を意味していた。
よくよく聞いてみるとイスラエルでは18歳から男は3年、女は2年兵役について、いざ有事の際は若い兵隊だけでは心もとないから、その後42歳までは予備軍となると。
そういう兵役後の人たちもいつでも招集をかけて有事に備えているそうだ。
ニュースで「ガザに侵攻。予備軍を1万人増員した」とか聞くと、自分は「あの予備軍だ」とピンとくるんだけど。
イスラエルと言う国は元々は遊牧民のため、団体行動が苦手だったりするんだよ。
日本の子供たちの紙漉き教室を見て、モラルが良くて次に漉く人たちがきちんと後ろに列になって並んでいると驚かれる。
イスラエルでは子供たちがあっちこっちに動いたりして考えられないと。
ところが18歳から3年間そのキャンプに行くと集団生活の中で、人しての1人前になるという話をしていた。

そのとき日本ではどうだろうと考えたんだよ。

確かに小学校、中学校まではイスラエルよりモラルのしっかりとした扱いやすい人かもしれないけれど、逆に社会人になったときに集団生活に非常に弱い。
個々のプライベートな暮らしも大切だが、過ぎれば問題だ。
共同で行うことや、コミュニケーションがどれだけ進んでいるかということを考えると、イスラエルより社会人になった状態では社会力が弱いのではないかな。
スイスで紙のワークショップをやった時には予備軍が45歳までだと言っていたから、世界の文明国のなかではそういった兵役の制度がある国は多い。
そうすると日本は平和でありがたいし、徴兵制が良いという話では全然ないけれど。
でも人間を育てるという観点から考えると、例えば都市部では福祉活動を、農村では限界集落と言われるくらい疲弊した所に半年や1年間とか人間力をつけるために青少年の年代を自然の中で過ごすのはどうだろうかと思う。

--- 五感を育てる


つまり一生を自分のためだけに使うのではなく、公共のために尽くすというそういった訓練が、大地の学校の中で作れないものかと。

かなり国のほうも推進しながら、そういった所に行った人が社会的にも評価されるようなシステムを作れないものかというのが頭にあるんだよ。
とりあえず1週間など短期の体験、あるいは半年から1年のそういうキャンプで、例えば農村であれば地域の年寄りと一緒に寝泊まりをしながらその年寄りの面倒を見ながら自らも面倒を見てもらう暮らし。
やはり大地の学校では作るのではなく育てるという行為が大事だから、限られた農作物でじゃがいもなら100日、米なら籾を撒いてから収穫をするまでをカリキュラムとする所まで出来たら良いなと考えている。
これは自分が生きている間に完成するものではないかもしれないけど、その大地の学校の種を蒔く実験をしてみたいと思っている。
大きく言うと大地の学校の基本構想というか動機というのはそういったことになる。

それは例えば日本全国、海の地域、島の地域、色んな地域があり、そういった場所にはかけがえのない知恵を持つ人が住んでいる。

その知恵や生き方や技とかそういったものを若い人達に繋げる機会を作ることは出来ないものかと。
そういった地域が農産物を出荷するだけではなく、それを育てる行為の中での教育活動というものかな。
その教育的な活動がその地域の経済効果として、お互いが貢献しあえる関係にならないだろうか。
そういったことが自分の最高の理想とする姿だね。

人は自然の子供というのは自然は生き物であるということ。

生き物だから段々駄目になったり、歳をとったり呼吸をしているということ。
非常に移ろいがあって、自然と分かち合う暮らしがないと五感が麻痺する。
人の五感を育てることが真の豊かさにつながると思っている。
真の豊かさを感じるのには暑い寒いもほどほど我慢するということを自然は求めているんだよね。
だけど人間は我慢せずして快適になることを目指しているから、自然と対極の方に向かっている。
そうではなくて不自由とか難儀とか、折り合いをつける人を増やさないと社会での暮らしがギシギシしたものになってしまう。
だから大地の学校は五感を育てる所と言える。

--- 30年後を思い描いたとき


門出がこんなに過疎になるとは思ってもみなかったから。

倅が紙を引き継いでくれるというのは有り難いんだけれど、自分が31歳の時の子だから、じゃあこれから30年経ったときにこの集落があるか無いかまで追い詰められていく現状を見たときに、門出和紙がこれから30年残ったとしても集落が無かったら意味がないんだよ。
俺がやってる紙はここで漉いてるから意味のある紙で、他に行って漉いたってなんの意味もない「風土の紙」だから。
それなら紙以前に集落を残さなければいけない。
それは倅が後を継ぐとなった段階で自分の責任として手を加えることもなく、なんにもしないでいることが俺にとっては卑怯というか耐え難いものがあるから、この集落を30年後も残していくためにはどうしたらいいかということに全力を注ごうと思ったんだよ。

現在門出は約200軒弱だけど30年後には30軒か40軒くらいになると思う。

これから10年後には半分になって100軒をきって、それから20年経って50軒をきるかもしれない。
それから10年経ったときにはまた減るわけだ。
その時の30、40軒の姿を思い描いたときには、たぶん門出に住んでいる人たちが半分くらいで、外から来た人たちが半分くらいじゃないと辻褄が合わない。
門出の人だけならもっと早く無くなっていくから。
そうすると30、40軒がここで食えることが何がいいか。
ここでなければいけないという必然性の一番高いことをやれば、ここだけじゃなくて外からの人も支援してくれるはずだろう。
そう考えると大地の学校のような、農産物を出荷するよりはその農産物を使って、五感を豊かにする人を増やすことがこういった小さな集落には向くだろうし、都市部の人にとってもそれは有効なはずだろうと。
今はまだ動いてないけども、やがて国の力としても新潟式とか全国にそういったキャンプをいっぱい作ろうという構想ができる可能性があるから、それに自分は賭けてみようと思っている。
「なつかしい未来」も必要だと思う。

(上部写真/現在の門出の風景

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