Chapter06 生紙、ふわた紙について


---- 生紙という言葉は昔から使っていたんですか?

昔は俺達の年代は「きがみ(生紙)」と言っていて、その頃は木で出来ているから「木の紙」と書くのだろうと思っていた。
まさか「生きてる紙」を「きがみ」と読ませるとは想像もつかなかったけれど、みんな「きがみ」と読んでいた。
それが小学校5年生の頃、社会科の教科書の中で1ページ和紙についてというのが写真で入っていて、思わずみんなが「和紙っていうのは、きがみ(生紙)のことのようだね」と言ったのを憶えているんだけど。
和紙という言葉は小学校の5年生の頃はじめて自分が知った言葉で、みんなが生紙、生紙と言っていた。

---- 全国的にも生紙という言葉は使われていたんですか?

全国的にもおそらく生紙と言っていたんじゃないかな。表具師さんは今も生紙という言いかたをするね。
生紙というのは2つの意味があって、まだ手をつけていない未加工な紙、生酒とかいうのと同じ意味合いだね。
その意味合いのものが生紙という要因になっているのだけれど、この辺ではいわゆる和紙のことを全て生紙と言っていたね。

新潟県内で講演をやるときは必ず「みなさん生紙という言葉を知っていますか?」と聞くと、80歳くらいの人たちはほとんどみんな知っている。
60歳代くらいになるとたまに分かる人がいるけれど、ほとんど街場の人はわからない。
つまり和紙という言葉に変わってしまっている。

調べてみたら江戸時代に生紙という文献はひとつも出てこない。
水戸光圀が書いた本の中に「日本紙(にほんし)」という言葉があって、それを作る風景が描写されているんだよ。
川で皮洗ったりとか、ちりを拾っている場面があって、女房達に紙を無駄にしてはならないということを戒めているというから、あの時代にとっても紙の仕事とというのは過酷な仕事の代名詞だったんだと。
まあ今と違って川のヘリでちり拾いをしていたから寒風にさらされて、手が切れるようなことだったと思うので、特に昔の紙漉きっていうのは大変だったんだろうね。

実は漉きたての紙は赤ちゃんで弱い。
紙はその時々の水分(湿気)で大きくなり小さくなったり呼吸しているんだね。
その回数を増やすことで紙面が穏やかになり、丈夫になっていく。
これは木々も同じだけど「枯れる」といって一人前になること。
生紙は3年寝せないと使えないとよく言われる。
100年もすれば煮ても溶けない紙になるんだよ。
自然のものは生まれたてはみんな赤ちゃん。だんだん良くなっていく。
人工物は生まれた時が一番良く、明日から劣化する。
自然物は人と同じ、生き物で物語があるんだね。
だから生紙はいい名前だと思う。

---- ふわた紙について

うちでは伊沢紙といってA3サイズの紙が主力で、地域内の自家用に使っていた障子紙がふわた紙、そのふわた紙いうのが8×1寸ということで、今で言う所の書道半紙の大きさ。
俗に半紙というと美濃半紙が一番有名だけれど、それよりやや小さな書道半紙。
通常の美濃半紙に比べると天地で3センチ小さいし、左右で6センチ小さい。
その書道半紙の大きさ、小国よりも少し小ぶりの半紙が松代、松之山、高柳は障子に使っていた。
全国的にみれば小国半紙のほうが障子の主流の寸法なんだね。
ところがどういうわけだが、うちらのほうは判が小さい障子、それは京間判とかなんとかと言う人もいるけど、木我さんに言わせると柏崎から出雲崎にかけての海岸寄りは風が強いものだから少し小さかったと。

ふわたという紙は、別名、鯖石判とも称されていて、この鯖石川流域、例えば門出だけではなく大沢とかそういったところで漉かれていた。もちろん松代のほうもひっくるめて。
だけども小国紙に比べれば市場にどんどん出回った紙ではなく、地域内の消耗品として使われていたんだね。
楮を作っている人が秋に楮を紙屋に届けて、それが春、紙になって返ってくると。
現に俺が中学生の頃、楮の量に応じた枚数の紙を7、8軒に配った覚えがあるんだよ。

ふわた紙は江戸時代後期の良寛がこよなく愛した紙であるということで、武庫川大学の藤田先生からうちに調査があったんだよ。
その記録は糸魚川の文化人で相馬御風という早稲田大学の校歌を作った方が良寛研究をして色々と本を書かれている。
その中に、良寛がこよなく愛したのがふわた紙である、という箇所が何箇所もあって、とりわけ良寛研究の方なんかが特にふわた紙を求めるようになった。
実は親父の代で一度やめたのだけれど、うちで道具が残っていたから自分が紙漉きを始めて10年くらいしてから、ふわた紙をもう一度復活させたんだよ

---- 「ふわた」とはどういう意味ですか?

ふわたの意味は未だにはっきりしていないが、大抵、紙の名前はその地区の名前を当てるんだよ。
しかも大きな地区の名前ではなく小さな集落の名前を。例えば栃木県の程村紙とか茨城県の西ノ内紙とか小さな集落の名前。
でも、「ふわた」を調査したけどどこも見当たらない。
漢字で書くと良寛研究の方たちは「ふわた」を漢字で「布」という字に「端っこ」というふうに「布端」と書いてあるが、高柳から出てくる文献は不要のいらないという否定する字を当て「不端」と書いてある。
だから高柳の文献の「不端」がもし正しいのであれば、それは「ハシキラズガミ」とも読める。
つまり「耳付き」と言える。
自分はそっちのほうが正解なのかなぁと。
布という字を当てたのは、否定する「不」よりも「布」のほうがイメージ的にも良いとなって、「布端」に変わって文献に出てきてるんじゃないかというように想像しているのだけれど。

ふわた紙はとても味のある紙なんだよね。
実に判が小さい判であるし、現在、ふわたの大きさで単判で漉く所はないと思う。
だから通常出回る寸法で、名刺やはがきを除いては1番小さい紙。
ただ吉野の美栖紙だとか、そのふわたの倍の大きさ、西ノ内は倍の大きさではあるけども縦紙ではないんだね。
横のやつをくっつけた倍の大きさだけども、奈良に行って見せてもらったら美栖紙は逆に横長に半紙を長くしている紙だったね。

ふわた紙と言えば、8寸×尺1寸で厚さが障子紙に使う薄い紙。
小国はそれよりもちょっと大きな紙。そして伊沢になるともう少し大きくなり、厚くなる。
だから小国と高柳、松代をひっくるめて当時は、大判というのを伊沢紙、中判を小国紙、小判をふわた紙、と呼ぶのがこの地域では共通していたんだよ。

(上部写真/現在の門出和紙 生紙工房

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